社会科学研究会

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認知症男性の列車事故訴訟・控訴審判決(2014年4月24日)

 2014年4月24日、名古屋高等裁判所にてある訴訟の控訴審判決が下されました。名古屋高裁は、2007年に愛知県大府市で電車にはねられ死亡した当時91歳の男性の遺族に、JR東海の振り替え輸送代など359万円の支払いを命じました。男性は当時、認知症を患っていて要介護認定4を受けていました。そして男性は、同じく要介護認定1を受けた85歳の奥さんと二人で暮らしていました。ご家族の内、長男の方は結婚し横浜に居を構えていました。そして、その方の奥さんが単身で長男のご家族の近所に転居し、介護を続けていたそうです。一審では、男性の奥さんと介護方針を決めた長男の方の二人が約720万円の賠償を命ぜられました。そして今回の控訴審では、男性と暮らしていた奥さんにのみ約360万円の賠償が命ぜられました。私は今回の判決を聞いて、驚愕しました。家族に対してのみ介護の責任が問われるのはおかしい。介護は、全員で協力して行うものです。介護は、協力して行わなければとても務まらない重労働です。また私は、長男の方にも賠償を命じた第一審の判決に対してもおかしいと思いました。介護の方針を決定した長男の方に責任を認めた第一審の判決は、長男が親の介護をするのは当然のことだという狭い価値観を反映した判決だと思います。そして、長男の奥さんの方が単身で転居し介護を行わなければならなかったという現実は、核家族化した日本においてオルタナティブ(代案)が無いという貧しい現状を示していると私は思いました。私は、今回の事件で少なくとも四つの問題が浮き彫りになったと思います。まず一つ目は、認知症に対する理解、そして認知症を患う人に対する理解が欠けているということです。認知症の患者の方と家族の方は、日常生活を送る上で本当に大変なのです。二つ目は、在宅介護の危機の問題です。介護は全員で行うものです。これからますます介護の需要が増えていく中で、独りで介護を行っていてはとても間に合いません。そして、本来は在宅介護にするか施設介護にするかということは家族や本人の意思、身体の状態などを考慮して決めるべきことです。しかし、現在はその選択すらも難しい状況にあります。介護の在り方が本当に問われていると思います。介護業界では、慢性的な人手不足の状態が続いています。それにもかかわらず、政府は決して介護業界にインセンティブを与えようとはしません。彼らは、自分たちの介護は保障されていると思っているのでしょう。歳費受領権を持っている人たちに、介護の現場の気持ちが理解できるわけがありません。三つ目は、家族の在り方の変化、そして家族というものに対する考え方の変化です。核家族化している現在の日本では、家族はとても狭い意味に捉えられがちであると思います。家族は、近所で暮らす人や知り合いも含めて家族です。四つ目は、経済効率至上主義、リスク社会の考え方の蔓延です。今回、JR東海の請求を受けて遺族の方が賠償を命ぜられたわけですが、これについて私は全員に責任があると思っています。JR東海は電車が遅れることで困ります。では何故、困るのでしょうか。それは、私たち電車の利用者が急いでいるからです。電車が動かないと、私たちは仕事や学校などに遅れてしまいます。仕事や学校に遅れると、社会全体に損失をもたらすと考えているのです。つまり、ここに挙げたこと全てが関連しているのです。それらに共通の価値観は、経済至上主義という考え方です。資本主義経済は、物事が少し効率的でないからと言ってすぐに目くじらを立てるのです。資本主義は、人々の行動すべてが効率的になってほしいと望むのです。そして、そのためには人間性が損なわれても構わないと言うのです。心の余裕が損なわれても構わないと言うのです。資本主義は、自分を生かしてくれと叫び要求しています。しかし、私たちは人間である限り、その要求に従うわけにはいきません。効率化のために、人間としてのプライドや生きる歓びを捨ててしまってはならないのです。