社会科学研究会

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憲法改正の是非

 昨今、日本国憲法の改正論議が行われるようになりました。私は、日本国憲法の改正について積極的に賛成の立場でも反対の立場でもありません。しいて言えば、憲法改正の論議はあった方が良いと私は思いますが、絶対に改正すべきだとは思えません。私はどうしても、日本国憲法に対して複雑な気持ちを抱かざるを得ないのです。憲法の議論になると、私は常にダブルスタンダードの考え方に陥いらざるを得ません。つまり一方では、立憲主義の観点から日本は憲法を遵守しなければならないと考えられるが、他方でこの憲法はアメリカのGHQという機関によって提案され起草された、連合国側からの日本に対する一種の要求であるとも考えられます。アメリカからの要求が、国家の最高法規としての正統性を持つと言えるのでしょうか。しかし、一方で私はそもそも日本国憲法というものに対する思い入れが自分の心の中に無いことを感じます。それゆえ、法的に言えば日本国憲法が国の最高法規であるのかもしれないが、日本人であるということは日本国憲法があるなしに全く関係がありません。日本が、戦後復興を遂げたのは日本国憲法が存在するからではありません。そうではなく、私たちの先祖である日本人が頑張ったからです。私たちはこの事実を絶対に忘れてはならないと思います。「現在の日本は誰のおかげでこれほど豊かな国になったのですか。」と問われた時に、「アメリカ人のおかげです。」と答える人が出てきたら日本の未来は危機的な状況になると思います。私は、日本国憲法の中で唯一肯定的に捉えられるものとして、基本的人権の存在があると思います。憲法は国の最高法規なのだから、憲法上保障されている基本的人権を侵害するような法律をつくることは許されません。それゆえ従来の法律の条文のうち、基本的人権を侵害すると思われる条文は削除され改正されてきました。また、判例も度々変更されてきました。私は、日本が自主憲法なるものを制定することを求めているわけではありません。そうではなく、日本人が日本を誇りに思い、皆が自信を持って生きていける日本を創ることが私の目的なのです。憲法を改正することや核武装することが目的なのではなく、日本を素晴らしい国にすることが目的なのです。もしも日本が自主憲法の制定によって、法的な正統性を一応は守ることが出来たとしても、それは日本が現在抱えている問題の解決にはならないと思います。重要なことは、制度を変えることではありません。現実を変えることです。そして、「変わらない現実」を取り戻すことです。変わらない現実こそが日本人にとっての幸せなのではないか、と私は思います。憲法を改正して日本国政府の法的な正統性を取り戻そうとすることによって、日本人にとって大切な価値観を捨ててしまっては本末転倒だと思います。私にとって大切なものは、日本国政府の価値観ではなく日本人の価値観です。日本人の大切な価値観を守るために必要やむを得ないのならば、日本国憲法の法的な正統性が曖昧なままであったとしても、私はそのままの日本国憲法を渋々ではあったとしても受け入れるしかありません。私が大切にしているものは日本国憲法ではなく、日本という国と日本人であることに他ならないのですから。