社会科学研究会

一人の人間を救えない社会科学なんていらないー日本のこと、世界のこと、人間のことを真剣に考え発信します。

理性なき民主主義

 日本人が、日本を見る時、そこにどのような光景が見えているのでしょうか。また、日本人が外国を見る時、どのような目で観察しているのでしょうか。例えば、近年、ヨーロッパや世界各国において様々な問題が顕在化しています。「自分自身との結婚」を宣言し”Me Society”と発言したオランダ人の女性や、「同性愛主義が制度を打ち壊すことは当然である」と考える者、果ては「国家などいらない」と発言する者、「人間は、男でも女でもありうる」などという観念、「父でもある母」、「母でもある父」という観念など、枚挙に暇がない状況です。これらの状況を一言で表すとすれば、「限界の不在」という現象が世界の各地で起こっているのではないでしょうか。幸い、日本ではそのような危機は起こっていません。国家が存在しなければ、国民は存在しません。社会が存在しなければ、個人は存在しません。男が存在しなければ、女は存在しません。女が存在しなければ、男は存在しません。父という概念が存在しなければ、母という概念は存在しません。母という概念が存在しなければ、父という概念は存在しません。政府が存在しなければ、市場は機能しません。このような当たり前のことがなぜ、分からないのでしょうか。日本は、このようなヨーロッパの現状を見て、どのように考えるべきでしょうか。今まで、日本の危機の際に国家を守ってこられた方々は、何をどのようにとり入れるべきか、そして、何をとり入れるべきでないかを的確に見極めてきました。政治制度についても、日本は多くのものをとり入れてきました。それは、フランス革命から受け継がれてきた「市民革命と民主主義の物語」や「市民平等の物語」、アメリカを中心として広められた「自由民主主義(リベラル・デモクラシー)の物語」、「自由貿易の物語」などです。フランスの政治体制をお手本にしたサハラ以南のアフリカ諸国の多くは、どこまで民主化に成功したのでしょうか。アメリカの政治体制をお手本にしたイラクアフガニスタンは、どこまで民主化に成功したのでしょうか。以上のことを一度でも検証してみる必要があるのではないでしょうか。イラクアフガニスタンの人々に主要な原因があるわけではありません。そうではなく主要な原因は、本来的に国家形成の背景が異なる国々に対して、フランス型あるいはアメリカ型の国家観や政治体制をそのまま押し付けたことにあるのです。フランスやアメリカという国々は、相当に特異な過程を経てきたわけであり、その意味で両国は共に相当に特殊な国であることは間違いありません。フランスやアメリカの国家観や制度だけが普遍的な価値を持っているわけではありません。戦後の日本の政治体制を全肯定するような言説は、いわゆる「フランス革命の物語」へ同一化したいという願望だったのではないかと思います。日本の戦後の「知識人」と呼ばれる方々は日本の特異性を熱弁することはあっても、彼らがフランスやアメリカなどの国々の特異性を語ることはあまりなかった、という事実はとても奇妙な現象です。フランスのいわゆる「ルソー・ジャコバン型国家観」も、アメリカの「市民社会主導型国家観」も共にフランス、アメリカのそれぞれの国の特異性に合わせて形成されてきたものです。フランスは、過激な暴力革命によって民主化を成し遂げたという歴史を持っています。また、アメリカはイギリスの支配から逃れるために独立戦争を戦った末に国家として独立し、独立宣言を採択したという歴史を持っています。そのいずれの場合にも、民衆の独立の為に多大な犠牲を払っています。対して、日本では慶応三(1867)年に大政奉還が行われ、江戸幕府は無血で終焉を迎えました。(勿論、その前にも後にも討幕派の武士など多くの人々の血が流れたことは事実ですが。)つまり、日本は江戸から明治に移行する時代においても、「革命」による民主化などというものを経験していません。日本に対して、フランスやアメリカの民主化革命の経緯をそのまま当てはめ、それに同一化しようという試みにどうしても違和感を抱いてしまうのは、無理からぬことではないでしょうか。勿論、日本がフランスやアメリカなどの国々から学ぶべきことは存在します。しかしそこには各国の独自の背景、いわば「国家の物語」とでもいうべきものが存在しているのであって、それを無視しては国家は成り立ちえないと私は思います。日本という国家をつくってきた先人たちは、他国から何をどのように学び、また何を学ぶべきでないかということを徹底的に考え実践してきたことと思います。以上のことを振り返ってみると、日本という国家と日本人という国民は、民主主義の先進国と呼ばれてきたヨーロッパ諸国などにとっても見るべき価値があるほど、国家としても国民としても成熟しているのではないかと感じます。むしろ、日本は世界各国のお手本ともいえるのではないでしょうか。日本は、各国のお手本となるような国家として、これからさらに成熟することが出来る力を持っていると私は思います。そして日本の成熟とはおそらく、他国の文化や制度を真似るようなことではなく、自ら考え自らの価値観や国家観を大切にすること、そしてそのうえで他国の価値観を尊重することに他ならないのです。