社会科学研究会

一人の人間を救えない社会科学なんていらないー日本のこと、世界のこと、人間のことを真剣に考え発信します。

新しい人権

 日本国憲法の第三章(国民の権利と義務)には、各種の人権規定が置かれています。いわゆる人権のカタログと呼ばれているものです。そこには例えば、思想良心の自由や信教の自由、集会・結社・表現の自由など他にも様々な人権規定が置かれています。日本国憲法は今まで一度も改正されていないわけですから、これらの人権は約七十年前の戦後当時に考えられていた人権に他なりません。一方では「プライバシーの権利」のように憲法は改正されていないが過去に判例で認められている、と解釈することが出来るものも存在します。憲法13条には幸福追求権といわれる規定が存在していることから、その条文を根拠にして条文に載っていない人権が認められることがあり得るのです。しかし、最高裁で争われた人権について実際に判例で認められたものはごく一部にしか過ぎません。今回は、人権について私が提起したいと思っていることについて述べようと思います。まず私は、「働かなくて良い自由」という人権が認められるべきではないかと思っています。今まで憲法では勤労の義務のみが規定されていましたが、私はこの状態は現実に即していないと思います。今の日本人は、もはや働くことのみに人間の尊厳や人間らしさを求めることは出来ないのではないでしょうか。現在は、働く人も働けない人も不幸であるという状況が実際に創り出されているのではないかと私は思います。なぜなら、企業の側は、能力のあるごく少数の人に対しもっと働いてほしいと言い、それ以外の人に対しては一向に仕事が与えられない。このままでは、仕事がある人はひたすら長時間労働を続けることになり、仕事がない人は収入源を絶たれ、ひたすら生活に困ることになります。これは、仕事のある人と仕事のない人のどちらにとっても不幸な事ではないでしょうか。人間は、働かなくても生きていける段階には未だ到達していません。その段階に到達することが、人間にとっての真の発展なのではないでしょうか。他人に命令されて仕事を行っているという状態は、自立している状態とは言えません。人間の歴史は、奴隷の歴史でもありました。現在でも世界には奴隷制という価値観は残っており、人身売買などの犯罪が行われている状況を人間はどのように捉えていくべきでしょうか。現在、人々の就労に対する価値観は、従来の価値観と比較すると驚くほど変化しています。人間の仕事は、オフィスや市場で行われる仕事だけではありません。公益のために働くということは、一部の人のみの特権ではありません。それは、日常的に誰にでも出来ることです。階段で年配の人の荷物を持ってあげるという程度のことで良いのです。自分が必要とされていると感じることは、どのような人にも必要なことです。なぜ自分にはそれが出来ないと思い込んでしまう人がいるのかと問えば、それは仕事や労働という言葉の意味が非常に狭く捉えられているからだと私は思います。目に見える収益を上げなければならない、多くの人に財やサービスを買ってもらわなければならないと考える癖がついてしまうと、仕事や労働の価値が限定されてしまうのではないかと思います。世界には様々な人々が生きているわけですから、仕事の価値は多様であって当然です。日本人は真面目で勤勉であるため、はっきりと「働かなくて良い」と言われない限り働いてしまう性格を持つ人が多いのではないでしょうか。世界一真面目で勤勉な国である日本において、働かなくて良い自由が人権として保障されれば日本は世界の最先端を歩むことになると私は思います。人間が人間らしく生きていくために必要な事は曖昧にせずに、憲法に明記すべきです。また、「子どもの人権」というものが憲法に明記されるべきだと私は思います。子どもは、周囲の環境や待遇などについて自分で選ぶことが出来ない、もしくは出来にくい立場にあります。子ども自らが、虐待しない親を選ぶことは出来ません。子どもの人権が保障されることは、当然のことであると思います。これから子どもの数が少なくなっていく分、私たちは一人一人の子どもを大切にしなければならないと思います。また現在、日本国憲法25条には生存権という規定が存在します。この規定は、いわゆる国家による自由を達成するために盛り込まれたものですが、しかしこの条文の文言自体は非常に曖昧かつ消極的なものです。一体どのような生活が、健康で文化的な最低限度の生活に当たるのか、この条文を読んだだけでははっきりとしません。そのため、憲法25条で保障されている人権は「抽象的権利」なのだ、もしくは憲法25条は国の努力義務を表しているに過ぎないのだ、などと言う声が今まで聞かれてきました。この生存権という条文を消極的に捉えるのではなく、「生活保護を受ける権利」や「社会保障を受ける権利」、「長時間労働を拒否する権利」や「パワハラ・セクハラを拒否する権利」などが認められるべきだと思います。憲法に限らず、法の条文は抽象的一般的なものでなければならないと教えられてきました。しかし実際には、条文の文言を抽象的に捉えすぎることでこぼれ落ちる視点が存在します。憲法は、実際に生活する私たちが創らなければならないものです。私は、現在の日本国憲法には欠けている視点が沢山あると思います。確かに民主制に移行して間もない国は、各種の典型的な人権が半ば強制的に保障されなければならないと思います。そうしなければ、不安定な政治状況の中で政治的な圧力によって人権が容易に反故にされてしまう危険が存在するからです。しかし日本の場合には、日本国憲法が制定されてから実に六十年以上経っています。その間、日本は高度成長期を経験し世界有数の経済大国になり、現在は世界の中でも特筆すべき少子化社会・高齢化社会を走っています。日本は随一の先進国として、本当に様々なことを経験してきたように思えます。そして日本人が今まで培ってきた経験から、日本人のための新しい人権のアイディアを大いに導き出すことが出来るはずです。今こそ、私たち自身が日本と日本人を守るための憲法を創らなければならないと思います。