社会科学研究会

一人の人間を救えない社会科学なんていらないー日本のこと、世界のこと、人間のことを真剣に考え発信します。

チトーの目指した世界

 かつて、ヨーロッパのバルカン半島に一つの国がありました。その国は、「南スラブ人の国家」という意味を込めてユーゴスラヴィアと呼ばれました。今日は、ユーゴスラヴィア建国の父であり初代大統領でもある人物について書きたいと思います。その人物とは、チトー (Josip Broz Tito)大統領です。ユーゴスラヴィアという国はこれまで幾度となく解体し、その度にまた統合されてきました。第一次世界大戦後に、アレクサンダル1世によって建国されたいわゆるユーゴスラヴィア王国のことは、俗に「第一のユーゴスラヴィア」と呼ばれます。そして第二次世界大戦中の1943年に成立した国家のことは、「第二のユーゴスラヴィア」と呼ばれます。第二次世界大戦中、ユーゴスラヴィアナチスドイツやイタリアといったいわゆる枢軸国に支配されていました。ナチスドイツが降伏した1945年、枢軸国側と激しい戦いを繰り広げたパルチザンと呼ばれる共産主義者たちが連邦制の国家を建国しました。そして翌年に成立した憲法によって、ユーゴスラヴィアは6つの共和国から成ることが決まります。同国の初代首相には、チトーが選ばれました。チトーは、1953年からは大統領に選ばれ次々と重要な政策を行いました。チトーが行った政策の中で重要なものはまず、自主管理社会主義と呼ばれるものです。この制度は、逆ピラミッド型の組織構造を基盤とした独自の社会主義を目指すものでした。従来の社会主義は、基本的に共産党や官僚によって管理されてきました。しかしチトーの目指した社会主義というものは、労働力を産み出す労働者自身が主体となる制度でした。チトーにとっては、ソ連型の社会主義においても西洋の資本主義においても結局は、物質こそが主役であったのです。それらに対し、真に労働者(人間)を主役にした制度を立てなければならないとチトーは考えていました。また、チトーは対外的には非同盟中立の姿勢を打ち出します。チトーは、ユーゴスラヴィアを取り込もうとするスターリンの計画に反対し、東西冷戦構造の中で東側でも西側でもない地位を確立しました。また、チトーは共産主義国の中で初めて全ての外国人にビザなしでの入境を認めました。チトーは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という言葉を好んで用いました。何故、チトーは1つの宗教でも1つの民族でもなく、「1つの国家」を目指したのか。それは彼がイデオロギーを持ちながら、決してイデオロギーに囚われない真のリアリスト(現実主義者)だったからではないかと私は思います。チトーが教えてくれたことは沢山ありますが、私が彼から学んだ大きなことは、人間は決して生きることを止めることは出来ないということです。今を生きるためにはイデオロギーが必要であり、しかしいつまでもそのイデオロギーに固執しているわけにはいかないということです。何故なら、人間は常に「起源」や「未来」といったことを考えてしまうからではないでしょうか。人間の生きる時間というものは、起源にも未来にも伸び縮みしうるのです。その中で人間は生きていかなければならない。しかし逆に言えば、人間はそれぞれの時間をどのようにも生きていける可能性を持っているのです。

 

ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)

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